こんばんは。
昨年近しい人達と立て続けにお別れをして、心身ともに参った日々を過ごしています。
そんな毎日にも気づきはあります。
亡くなってしまった、彼、彼女も、私と同じように別れを惜しんで
お互いの存在を愛おしく思いながらも、どうしようもないというある種の
無力感に一時は苛まれたのかもしれないなということです。
偶然ですが今年に入り2人の霊能者にお会いする機会があり、
亡くなった方の言葉を聞くことができました。
「ありがとう」とただ涙し、「あなたにあげたアレを大切にして欲しい」
「ひとりで耐えさせてごめんね、泣いてもいいんですよ」と励ましてもらいました。
その時はっきりと亡くなった方が近くにおられることを感じました。
私は心身のセラピストになる為に勉強とトレーニングを重ねましたが
今、「霊」というレベルでもセラピーが必要とされることを強く感じます。
「霊」とは魂の事だと私は思います。意識とも思います。
東日本大震災で多くの方々がかけがえのない大切な人を亡くしました。
何の準備もなく、一瞬にして。
残った私達は、日を追うごとに、何か思い出に残る品や写真がないだろうかと
思うのですが、いくら探した所で見つからないのです。
苦しい悲しいあきらめのつかない、時間がただ流れていきます。
この喪失感から目をそらすのではなく
なぜ私ではなく、その方々が亡くなったのかを、感じたいです。
亡くなった方々の意識は身体がないだけで私達のまわりに空気のようにあると思いますし
もっと大きな集合的な叡智となって私達に何かを伝えて下さろうと
しているのかも知れません。
私達が忘れてしまった手段、知恵を思い起こす事を。
どうぞ亡くなった方の言葉を残された方に伝えることができる能力のある方は
臆せずにご自分を生かして役立てて下さい。
私達が本来備わっているだろうと思われる
あの世とこの世をつなぐ意識の扉をあけるドアの役目として。
それを思い出す事によって私達は本来の私達に戻っていけるのだと思います。
叡智に触れながら生身の身体を持つ人として生き終える事を。
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