2012年3月27日火曜日

個を超える人


こんにちは。よいお天気になりました。近所の梅が満開です。

先週末、私が卒業した高校の同窓会が行われ、
多くの同級生とはじつに30年ぶりに再会しました(^^)

みんなの笑顔に会えた事がとても嬉しかったのですが
中でもすごく感動を与えてくれた同級生のお話です。

彼、H君とは、高校3年のときのクラスメートで、
大学を卒業後、現在は会社の常務をしています。

「あれ??何か違う!」
5年前にクラス会で会った時の印象と、まったく別人のような雰囲気です。
お話をしようとグラスを持ち、隣の席に座ると、
彼の周りの空気がボヨ〜〜ンと膨張しているみたいに感じられます。
しかもフィールドが暖かい(^^)

何か良い事があったのかなと思って、彼の話を聞いていると、
最近、肺に気胸が見つかり、詳しく検査してみると肺ガンであることが
わかったそうです。すぐに手術をして、つらかった術後の養生を経て
今、ここにいるのだとか。

その辛かった術後の話をしながらも、不思議と彼の表情は穏やかでした。
そして

「生かされてると思うねん。そやから、これからは僕もみんなの役にたてるような
援助職をしていきたい」
「生かされてるから、まだ生きる」と言います。

話しているのはH君なんですが、神様の言葉を聴いたくらいの
衝撃と感動で、胸がいっぱいになりました。

とても力強い右手でしっかりと私の右手をにぎる彼は
私の知っている18歳の男前のH君でもなく、常務のH君でもなく
小死を得て大死に臨む、大きなH君でした。

ブログに書いている今も、胸の内が熱いもので満たされるような気がします。

そしてふと思い出した本があります。
それは私自らの体験とも重なる内容でもあり、安藤治という精神科医が書かれた
「私を変えた(聖なる体験)」です。

その本の中から以下を抜粋させていただきます。

ユングは人生の「午後」の問題は、人生の「午前」の問題とはまったく異なるものだということを繰り返し強調している。そして有名な「集合的無意識」という考え方も、この「午後」の問題と深く結びついて述べられたものだ。「若い人間が外部に見いだしていたものを、人生後半にある人間は、自己の内部にみいださねばならない」。彼はこの午後への移行には、若い頃のさまざまな理想の反対物の価値を悟ることが必要となってくると述べている。そして、仕事を変える、離婚する、宗教を変えるなどのさまざまな人生の方向転換の試みは、以前自我が進んだのと逆の方向に活路を求めようとする動きであると捉えている。ただ、そこで肝心なのはまったく反対の方向に人生を変えるということではなく、そこに現れてきた反対の価値を認めながら、以前の諸価値をしっかりと保っておくことだと彼はいう。
ここでは自己自身との深い葛藤や不和が起こる。そしてそこでは一見もはやそこから脱出する道がないかのように見える。ユングは、このような一見克服困難な障壁の前に立った時に、人がそれを乗り越える治癒の道として、「個人的無意識」のさらに奥深くにある「集合的無意識」という「以前われわれがそれについてはまったく知らなかった一個の精神的な内面世界がぽっかりと口を開ける」ことの重要性に着目したのである。そして、それらをしっかりと意識に引き受け、自身の中に統合していくことこそが、人生後半の人間にとって大きな課題であると言ったのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿